ある帰宅難民の記録

2011年3月11日の記録を残しておきます。

「その瞬間」はエスカレーターに乗っていた

仕事中「小腹が空いたからじゃがりこでも買いに行こうかな」と、隣りのコンビニに向かってる途中に地震に遭いました。
上りのエスカレーターに自分ひとり。隣りの下りエスカレーターは点検で停止中。突然ガタガタと揺れたので「ん?点検で揺れてるの?」と思いました。目的階について降りたあたりで激震。おいおいおいおいナニコレ!と、とりあえず横のドアから屋外の公園に出てみた。他の人も結構外に出て来ていて「揺れましたね」「大きいですね」と。言葉を交わす。その最中も揺れているので「これはタダゴトではない→早く職場に戻らないと‥!」とおやつをあきらめ会社に戻る(徒歩30秒)
会社の前にも何人か社員が出て来て上を見上げていたけど自分のフロアに戻る。やはり騒然としていてお台場の方から黒煙が!(テレコムセンターの火事と判明)など落ち着かない。ワンセグをつけると、宮城の海岸の津波の情報が流れていた。(この時点では「漁港が大変そう」くらいしかわからず。)
大きな余震で机の下にもぐってみたりもしたものの、被害の程度がわからず気もそぞろになりながら仕事を続けるけどもちろん仕事になんてならない。隣りのビルはエレベーターが止まって帰宅指示が出たらしい。うちも帰って良いって言われたけど都内は電車止まったらしい。どうやって帰ろう‥?待ってたら復旧するのかな‥?これって帰宅難民ってやつだよね‥。
と迷ってるうちに夫から合流して帰ろうの連絡。どうなるかわからないけど帰るなら二人の方がいい。当座の仕事を片付けて帰る事にする。

これが「帰宅難民」てやつか

タクシーが捕まりそうになかったので駅前のマクドナルドで腹ごしらえ。自宅まで17キロ。電車復旧の見込みはなさそうだったのでやはり歩く事に。この時点で17:00すぎくらい。自転車では何度も通った事があるし歩けない距離じゃないのは知ってたから不安ではなかったけど、大量の人がぞろぞろと歩いているのは異様な感じ。会社から支給されたのか避難袋やヘルメットかぶって歩いてる人もチラホラいました。今回はヘルメット邪魔そうだったけど、状況次第では必要になったかもしれないですね。
皇居あたりが激混み。でも皆、混乱も無く整然と歩く。車道は車がぎゅうぎゅうの渋滞。バスは大行列だし乗れるだけ詰め込まれててしかも進まないので乗ってたらストレスだったろうなと歩いて追い抜きながら思った。

街の様子は普段とさほどかわらず。

都内を北上。地震の被害らしきものはそんなに沢山はなかった。神保町で本棚から本があふれてる古本屋があったのと、店先に大量の壊れたグラスをゴミに出してたバーがあったくらい。帰宅難民の腹ごしらえ用か松屋に大行列。吉野家は機器故障とかで店じまい。飲食店が開いてて、お店の人も不安だろうにこんな時でも街が活動してたのが心強かった。ちなみにパチンコ屋も営業してたw 打ってる人2〜3人。強いな!
たらたら話しつつ歩き続けて数時間。相変わらず車道は大渋滞。自転車の人がすいすい通って行くのが超絶うらやましかったw

唯一連絡の取れなかった「家族」

自宅に近づくにつれて、飼ってるインコの事だけが心配に。携帯電話やSMSは使えなかったけどTwitterGmailが使えてたのでその頃までには実家の安否もわかっていて、連絡がつかない家族(笑)は自宅で留守番中のインコだけ。オカメインコは臆病なので、地震の揺れでパニック起こして暴れて怪我してないかがずっと心配で。それさえなければ別に都内で一泊しても良いくらいだったけど早く元気なのを確かめたくてとにかく歩いた。
不安はあまり無かったけど、暗くなってきて最後の数キロがちょっと辛かった。ひとりで歩いてる人はもっと不安だったと思う。地下鉄の駅の前で「地図お見せしますので声かけてください」というスケッチブックを持ったボランティアの人がいて親切でいいなと思った。
ラスト、最寄り駅からの道は「帰って来たー!」とウイニングランの気分。到着は21時すぎ。4時間ちょい。家について地震の被害は‥とおそるおそるドアをあける。落下物で散らかってる‥と思ったら散らかっているのは元からだった。被害ほぼなし。
心配してたインコは、やはり暴れたのかかごの中にちょっと羽が散乱してて鼻のとこ擦りむいてて、おびえて細くなってたけど無事!数十分なでなでしてあげたら元気になりました。
テレビで地震の様子が明らかになるにつれて「これは尋常ではない大災害だな‥」と。余震も続く中、日本どうなるんだろう、と朝まで寝れなかった。こうして「第一日目」が終了し、夜が明けました。

学んだこと

  • コンティンジェンシープランは家庭でも必要。勤め先で被災して帰宅困難になった場合のことは以前からなんとなく考えていて、徒歩帰宅の練習も、分割でだけどやったことはあった(今日はこの駅からこの駅まで歩いて帰ろう〜etc)役に立つことも、あるんだね。家族との連絡の取り方も、前もって決めておく必要があると思った。
  • 都民は災害慣れしてなくて危機的状況が起こった時に判断が遅くなりがち。時間が経つにつれて選べる選択肢はどんどん少なくなって行きます。初動が大事!地震の瞬間にタクシー拾ってればそのまま帰れたかもしれないけど数時間経つと交通網麻痺する。周辺のホテルもどんどん埋まって行く。早めに帰宅可能か、無理かの判断をして、泊まる場合は宿泊先を手配するなどすることが必要。
  • ペットは非常時に面倒見れるように、運搬用キャリーやエサなどすぐ出せるところに用意しておくべき。ペットにとって頼れる人は飼い主しかいないから守ってやらないと。余震が続いて不安なのか、うちのインコはいつもより甘えん坊になっています。
  • 今回の震災後に余分に買ったものは何も無かった。懐中電灯は自転車用のライトが明るいのあるし、電池はぜんぶエネループ製。水も米も当座の分はある。買い占め良くない。というか常日頃から備えてあれば必要なし。(でもトイレットペーパーはあと2ロールしかないので使い切る前に早く在庫復活して下さい)


うちは都内でも北の比較的地盤の固い方なのでこの交通網麻痺による帰宅難民化以外は特に被害はありませんでした。(被害のあった地域の一日も早い復旧をお祈りします。)しかし交通網止まると都市機能って一瞬で麻痺するんだね!脆さを痛感。物置に眠ってるキックボードを会社に置いておけばよかったとか思った。(冗談です)
もちろん自転車最強。自転車通勤したい。

この日の事は一生忘れないんだろうなと思った。もちろん、皆さんもそうでしょうけど。